大会の名称について

東日本学生アメリカンフットボール王座決定戦は1986年(昭和61年)から開始された。

実施に至る経緯は1985年に本体会の1年前に開始された平和台ボウル(中四国学連優勝校対九州学連優勝校)の西日本地区側が東日本地区との交流を関西学連を通じて打診され、関東学連の後押しもあって86年より実施されるようになったことによる。
この大会は以上の事情から関東学連が会場、審判員をお世話する形で開始された。
よって1986年より89年までの4年間は大井球場やよみうりランド、駒沢補助など関東地区で東北、北海道両チームが遠征し移動負担や条件を公平にして実施された。

この大会も回を重ねる毎に地区対抗王座決定戦の出場校を決めるだけでなく、地方学生連盟が主管することにより大会運営能力を向上させるとともに、ゲーム自体を地区の活性化や普及のための事業として利用すべきとの合意の下、北海道・東北両リーグ地域で交互にボウルゲームとして昇格開催することとなった。

以上の経緯からパインボウルの副題の名称で初めて開催されたのは、第5回大会の1990年 仙台市の宮城陸上競技場でパインボウルとして開催されてからである。

パインボウルの命名は、当時の東北学連理事であった寺島氏、二階堂氏、武田氏によって提案され北海道学連に協議了解のうえ決定された。
これは東北と北海道の豊かな自然を象徴する「緑」を代表するもので、アメリカの農産物の品評会にあわせて行われたスポーツイベントとしてのボウル・ゲーム歴史的経緯を確認した上で、農林水産物でもある「松」(パイン)を選定した。
「松」はどんな地にも根を下ろし、成長も早く、樹齢も長いことから、この大会が東日本の地に末永く定着するよう祈念して名付けられた。


<引用>
1996年2月発行 連盟20周年誌 東北学生アメリカンフットボール連盟発行
パインボウル - Wikipedia